河目幸歩さん ロングプロフィール

河目幸歩(かわめ さちほ)

1973年生まれ 柏市在住
職業 エステティシャン/一般社団法人日本胎内記憶教育協会 公認認定講師
1男1女のシングルマザー

河目幸歩 ロングプロフィール

 

経営者の娘として育つ

私は理美容業を営む家に生まれました。父は複数の店舗の経営者として、仕事にはとても真面目に取り組む人でしたが、仕事が終わってからは麻雀や女遊びなど出歩くことが多く、夜はほとんど家にいなかったことを覚えています。母はそんな父に文句ひとつ言わず、ひたすら仕事…。母のパジャマ姿を見たことがないほど働き者でした。

店舗の経営に一生懸命な両親の背中を見て育った私は、子どものころから、人は一生働くのが当たり前だと思うようになり、今でも働くことが大好きです。

 

拒食症・劣等感・夫の自死

両親が常に仕事優先だったことや、小さな家には住み込みで働く方がたくさんいたことで、私は親に甘えることができず、自分の居場所がないとさえ感じていました。

当時、競泳のオリンピック選手を目指していた私は、親元を離れたい気持ちもあり、中学1年生のとき、仙台に移ったコーチを追いかけるように引っ越し、大学までトレーニングに打ち込みました。しかし、結果的に夢は叶わず大学では留年。当時は拒食症、その後は過食症と、40歳ごろまで摂食障害に苦しみました。

大学卒業後は航空会社の客室乗務員として働きました。憧れの職業でしたが、同僚たちの華やかさと優秀さに劣等感を抱き、体調を崩し退職。

その後、会社経営者と結婚。海外で家政婦付きの裕福な暮らしを送りますが、それもつかの間、息子が2歳のとき、会社の負債を抱えた夫の自死で生活が一転しました。

 

占い師からエステティシャンへ

深い悲しみに包まれましたが、子どものためにも生きていかなければなりません。
実家では昔から父が易者のアドバイスを受けており、占いが身近な存在だったことや、自分に起きていることを知り対処したいという気持ちから、占い師の道へ。

「よく当たる」と私の占いは評判になり、それによって私に依存する人が増えていったこと、他人の人生に口を出すことに大きな違和感を持つようになりました。

そして、会社秘書、家政婦、新聞社などさまざまな仕事を経験しながら「私でなければできない仕事をしたい」と思うように。
そんなとき、世界110ヶ国の中で2004年最優秀グランプリを受賞し、世界一のエステティシャンとなった今野華都子(こんの かつこ)さんと出会いました。「エステは人の心に触れる仕事」であるという思いに感銘を受け、師と仰ぎエステを学びました。後にこの出会いは私の宝物となります。

 

不倫、出産、娘の小児がん

自身のサロンを開業し1年が過ぎ軌道に乗ってきたころ、既婚者との間に娘を妊娠。彼に反対されても娘を生んだことで、その関係は終わりました。父親のことを周囲に言えず「事故で亡くなった」と嘘をつく日々…。その嘘に心が苦しめられ、押しつぶされそうになっていました。

2011年3月11日に発生した東日本大震災。あの日から体調を崩した娘が「小児がん」と判明。娘が身体を使って私に「もう嘘で苦しむな」と教えてくれた気がしました。

また、当時、息子の通う保育園は、自然のなかで思う存分遊び、子ども時代を楽しむというスタンスで、その理念が人生を考えさせられるきっかけになりました。これまで他人軸で生きていた私が「自分軸で生きる大切さ」を知ったのです。

今は完治して元気でいますが、娘が病気の間はエステ界からも離れ、仕事もままならず、お金もなくなり、何度も引っ越しを重ねながら、ただがむしゃらに働きました。それでも、娘の病気や息子の保育園を通して「子どものためにも、自分が幸せにならなければ」と思う気持ちが強くなっていきました。「これからは自分の人生を生きよう。子どもたちが私のような人生を送らないために、私が変わらなければ…」。その思いが自身の育ちなおしを加速させたのです。

 

いつも支えてくれた子どもたち

息子が希望する学校に入るため埼玉の飯能市に移り住み、私は材木屋さんで力仕事に打ち込みました。私立に通う息子の学費も稼がなければならず、その材木屋さんでは、ほかのパートさんより勤務日数・時間を増やしていただくなど、私たち親子を応援してくださいました。今思い出しても感謝の気持ちがあふれてきます。

家賃を節約したくて廃屋のような家に無料で住ませてもらったころも、「昔話みたい」と娘は喜び、材木屋からもらった廃材で息子が家を修復してくれました。こんなサバイバル生活でも笑顔でいてくれる二人の存在に、どれほど助けられたか言い表せません。

摂食障害、産後鬱、働きすぎで心も体も疲れ果て、そんな私をいつも支えてくれたのは子どもたちです。

私が自身の幸せに気づき始めたとき、これまでの反動か、息子が荒れた時期もありました。今までずっと我慢させてしまったからだと思うと、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 

胎内記憶との出会い

胎内記憶との出会いは映画「神様との約束」を見たこと。子どもが親を選んで生まれてくると知り、意識が自分の内側にフォーカスするようになりました。

これまで、唯一自分の意思だったと言えるのは「子供を産みたい」と思ったことで、子どもたちはそんな私を選んで生まれてきたと信じています。

お産の痛みが大好きだというと驚かれてしまいますが(笑)、子どもが生まれてからは、どんなつらいことでも一度も不幸だと思ったことはありません。私が経験したことはすべて自分が選んできたことだと納得し「自分の人生には意味がある」と初めて思えたのでした。

 

エステを通してお客様に自分が生まれた意味を知ってもらう

現在の仕事はエステティシャン。化粧品に頼らず、その人が持っている力を引き出し癒しに変えます。

胎児の皮膚と脳は、同じ時期に形成されたもの。だから、エステで肌に触れることは脳に触れていることと同じだと考えています。

胎児はおなかの中で、皮膚を通じてお母さんを感じています。生まれた後、その脳は宇宙につながるアンテナになります。大人になってアンテナが切れてしまっても、いくつになってもまた宇宙とつながることができるのです。足元から地球のエネルギーを、脳からは宇宙(神)の計らいや応援を、またもらえるようお手伝いをするために、私はエステ界に戻りました。

お客様から「肌に触れてもらうと涙が出る」「なぜか心のうちを話したくなる」と言われる度に、「あなたにしかできない仕事をしなさい」という師匠の言葉が思い出されます。

エステを通して、自身が生まれてきた意味を知ってもらうことは、胎内記憶に通じる仕事だと誇りに思っています。

河目幸歩