プロフィール 生い立ちから現在まで
1974年、市原市で誕生。
曽祖父(ひいおじいちゃん)、曽祖母(ひいおばあちゃん)、
祖父、祖母、そして、父と母、二つ下の妹、
8人の大家族、兼業農家の長女として生まれました。
初めての子どもで、周囲にはかわいがってもらった反面、
しつけにはとても厳しくて。
明治生まれの曽祖父はとても厳格な人で、笑った顔を見たことがありません。
いたずらをして逃げる私を、棒を振り上げながら追いかけてきことも(笑)。
反対に曽祖母はもの静かな人でした。
そんな二人はいつも着物姿で、物心ついたころから着物が身近にあった影響か、
私は着物が大好きなんです。
幼少から、プールやピアノ、英語など、さまざまな習いごとをしていました。
私は体操をやってみたかったのですが、両親が習わせたいことが優先されていました。
当時の私は
わりと地味で引っ込み思案。いつも人の影にかくれているタイプでしたから
「活発な子に育ってほしい」という両親の思いは強く
そのためにもいろいろな習いごとをさせたかったのでしょう。
ですが、私にとって習いごとは、常にやらされている感…。
どれも嫌で嫌で…長続きしませんでした。
中学生になり、ずっと興味を持っていた体操部に入りました。
特に床運動の優雅な動きや、ポージングなど、とても気持ちが良くて…。
「自分のやりたいことをやっている」という喜びや
「自分を表現すること」の楽しさを覚えたのかもしれません。
高校では、仲の良い子が入ったからという理由だけで、私もバドミントン部へ。
軽い気持ちで入部したことを後悔するほど、体育会系の厳しい部活で本当につらかった…。
そもそも向いていなかったのか、全く上手くなりません。
それでも、なんとか続けてはいましたが、
高校3年生の夏合宿を控えた引退直前で辞めてしまうことに。
なぜなら、高校生活最後の夏休みを部活以外で満喫したかったから。
部員から「ここまで続けたのにどうして?」「あとちょっとで卒部じゃない!」
と必死に止められたけれど、私は聞く耳を持ちませんでした。
クラスの仲良しの友だちと最後の夏を思いっきり遊びたい!
とにかく今が大事!「私の青春なんだから、私が決める!」と固い決意で退部。
というわけで、中途半端な形で部活を辞めてしまいましたが、
おかげで残りの高校生活を思う存分、楽しむことができました。
高校3年生。進路を考える時期です。
小さい子が好きだった私は、以前から幼稚園の先生に憧れていました。
それに、昔から、親戚の子どもたちの面倒をよく見ていたこともあり、
自分で言うのもなんですが、面倒見が良い姉御肌(笑)。
しかし、幼稚園の先生になるには、苦手なピアノが必須と知り…意気消沈。
ピアノと言えば、両手で弾くかっこいい姿に憧れたものの、
片手だけの基礎練習がつまらなすぎて、すぐやめてしまいましたから。
もうひとつ憧れていた職業がインテリアコーディネーターです。
昔からインテリアに興味があり、
当時は自分の部屋をまるで雑貨屋さんのように飾り付けていました。
また、グリーンコーディネーターという職業も世の中に出始めたころで、
夢は膨らむばかりでしたが、親に相談したところ、その場で反対されました。
当時はまだ、どれもあまり一般的には知られていない職業でしたから、無理もありません。
両親に反対されたら、そこを説得できるほどの熱意もなく、結局、福祉の専門学校へ進みました。
人と接することが好きだし、福祉系なら私にもできそう。そんな軽い気持ちからでした。
専門学校では養護施設や障がい者施設、老人施設での実習もあり、
現場でも学ぶことができました。
施設の現状を知り、多くの課題や問題を目の当たりにする日々…。
さまざまな人と出会って、いろいろな体験をし、考えさせられることもたくさん…。
このときの経験は今の活動にも大きく影響していると思います。
なんとなく福祉系に進んだ私でしたが、
よくよく考えてみれば、大家族に生まれ、いつもお年寄りが身近にいたことも
当時の選択に影響しているのかもしれません。
さて、専門学校を卒業後、普通なら同じ福祉系の仕事に就くのでしょうが、
インテリアに関わりたい夢をどこかまだ捨てきれなかった私は、近所の雑貨屋さんの求人を見て就職。どうしても一度やってみたかったんでしょうね(笑)。
そして、雑貨屋さん勤務時代、今でも忘れられない出会いが…。
昔から絵が好きで当時も美術館にはよくでかけていましたが、
20歳のころ、ある展示会で出会った一枚の絵、それはそれは衝撃的でした。
強烈な一目ぼれでした。
その絵の前から動けなくなりました。
それは、古代の女性、月、太陽、ナスカの地上絵が描かれていた不思議な絵。
遠い前世の記憶を呼び起こしたのでしょうか…(笑)
当時、雑貨屋さんで働いていた私のお給料など知れたものでしたが
月給の何倍もするような高額だったことにも関わらず、その場で購入を決心。
「この絵のために働く!」
後にも先にも、人生で最も高い衝動買いとなりました(笑)。
…高い買い物でしたが、今も後悔していません。
直感を信じて行動するのは、たぶん父親譲り。
子どものころ、父が突然「モーターボートを買ったぞ!」と言い出して
家族を驚かせたことがあります。家族に何の相談もなしに事後報告でした。
だから、これはきっとDNAなんですよね(笑)。
当時の私は、雑貨屋さんのお仕事にいまいち、ピンと来ず…。
思い描いていた雑貨屋さんの仕事とは違い、単なる販売業務でしたから。
雑貨屋さんに勤めれば、自分の好きなように商品をセレクトし
店内も自分のセンスでレイアウトできる。
そう思っていましたが、それはオーナーの仕事で、スタッフの私は主に販売。
よく考えてみたら当たり前なんですけどね(笑)。
悩んだ結果、「今しかできないことをしたい」と、仕事を辞め、思い切って海外へ。
友達を訪ねてカナダへ行き、そこで1カ月近く滞在。
帰国後は免許合宿に行ったり、昼と夜、掛け持ちで飲食店でのアルバイト。
そんな生活を続けながら「お金を貯めてまた海外に行くのもいいかな」なんて、考えていました。こんな自由な暮らしは、若いころだからできたんでしょうね。
海外から戻った私は、そろそろ真面目に働こうと実家近くの病院へ就職。
介護の知識もあったので看護助手として働き始め、
ここでやっと家族を安心させることができたんです。
長女として親の期待に添いたい。家族を喜ばせたい。
そんな思いが、ずっと心のどこかにありましたから…。
そして、
病院勤務の間には、今でも忘れられないエピソードが。
なかなかキズ口が治らず、菌にも冒され、
隔離されてしまった患者さんを担当したときのことです。
他の患者さんが次々と退院していくなか、お気の毒に毎日、不安そうで…。
身の回りのお世話をする私は、患者さんやご家族からすれば、一番身近な存在。
だから、聞きやすかったのでしょうか。
本人を前にしてご家族からストレートに
「この人、治らないんですよね?」と尋ねられました。
私はとっさに
「今は、じっくり治している最中です。
他の方はすぐに退院しているけど、また悪化して戻ってくる人が多いの。
だから、ここで時間をかけて治したほうが、あとが楽なんですよ」
と答えました。
この質問に対して事前に準備することができたのなら、
もっと上手いことが言えたかもしれません。
後になって「もうちょっと気の利く言葉が言えたのでは…?」と反省したものです。
ですが、そのときの私の言葉が、思いがけず家族孝行になるとは…。
その患者さんは、退院後に私の実家を訪れてくれました。
「あのときの言葉に救われた」と菓子折りを持って実家にお礼に来てくれたんです。
私の言葉で元気を取り戻し、無事、退院できたと。
私はちょうど留守で、その方は祖父とお話をしたそうですが
祖父は孫を褒めてもらったことが、この上なくうれしかったそうで…。
普段は、のんびりしている、おっとりした祖父ですが、
このときばかりは、何度もうれしそうにこの話を繰り返していました。
常々、家族孝行したいと思っていた私にとって
この訪問は思いがけないプレゼントになりました。
言葉の力って、すごい。
そう感じたできごとでした。
そして、このころから、私のなかで考え方や捉え方が変わってきました。
幼少時代から「実家は厳しく窮屈」と思っていた私ですが
社会に出てからは「私は恵まれた環境だったんだ」と
ようやく感謝の気持ちを持てるようになりました。
当時、付き合っていた夫が大学卒業後、福岡で就職することになり
「遠距離恋愛になるくらいなら、いっそのこと付いて行く」
と結婚を決意し、病院をやめて福岡へ。
両親には当時、夫とのお付き合いのことは知らせていなかったので、
結婚も引っ越しも突然の報告となってしまいました。
しかも、お婿さんを迎えて実家を継ぐはずの長女の私が嫁に出ることになり、
申し訳ない気持ちで一杯でしたが、両親は私の決断を応援してくれました。
突然のことにも関わらず、理解してくれた両親に感謝しています。
23歳で結婚。福岡では、化粧品会社のオペレーターや派遣社員として、
相変わらず人と接する仕事を続けていました。
3年目のある日、
夫が「会社を辞めて映像制作の専門学校に通いたい」と言い出しました。
新しい仕事のための技術を学びたいと…。
突然のことで驚きましたが、特に反対する理由もなく、
同じタイミングで私は英会話教室の運営を任されるマネージャー職に就くことになり、
夫を扶養に入れて働きました。
子どもはまだいないし、二人ならなんとか食べていける。
そう思い、私一人が働くことも苦労とは感じませんでした。
当時のことは、何年たっても夫から感謝されています。
だから、今、私は自由にさせてもらえるのかなと。
27歳で千葉へ戻りました。
29歳で長女、32歳で長男が生まれました。
子どもが二人ともひどいアトピーで…。
長男は皮膚が溶けるくらい症状が重く、
少しでも改善すればと、私はさまざまなことを学び始めました。
まず、マクロビ(マクロビオティック)を勉強しました。
動物性は避け、無農薬や自然農法の穀物や野菜を中心とした食生活です。
次は体を整えることも必要だと、整体を学ぶことに。
おかげさまで子どもの症状は徐々によくなり、完治しました。
その後も学びは続きます。
心のあり方にも注目し、セラピーの分野にも興味を持ちました。
カラーセラピーに出会い、色で癒すことを学びました。
そして、あるパステルアートの作品に心を打たれ、
「この絵を描いてみたい。粉で描くなら私にもできそう」とパステルアートを学びました。
パステルアートはアートセラピーの要素もあるので、
好きな絵を描きながら、自分自身を癒すことができるんです。
このすばらしさに感動した私は
「一人でも多くの方にパステルアートの魅力を伝えたい」という想いに駆られ
パステルシャインアートインストラクターの資格を取得。
それまで絵を描いたことがなかった私が、個展を開催するまでに。
それほど、パステルアートの魅力ってすごいんですよ。
現在は、障がい児施設などにもパステルアートの講師として招かれています。
専門学校での実習や経験がここでも活かされることになるとは、
当時の私は思いもしなかったことでしょう。
こうして、さまざまなことを学ぶことができたのは、すべて子どものおかげなんです。
カメラを本格的に始める前は
家族の写真や風景をiPhoneで撮っていました。
iPhoneで何気なく撮影した空の写真などをSNSにアップしていたところ、
「ステキな写真だね」とたくさんのコメントをいただきました。
これが、とても嬉しくて…。
「写真っていいな」と興味を持ち始めたその年のクリスマス。
サンタさんからのプレゼントは一眼レフカメラでした。
「このカメラなら、雰囲気もそのまま、見たままに撮れる!
撮りたいように撮れる!なんて面白いんだろう!」
すっかり写真のとりこになりました。
これがカメラとの出会いでした。
もちろん、最初のころはこれが仕事につながるなんて思っていません。
撮影した写真をSNSへ投稿し続けているうち、
私の写真を気に入って下さった方から
撮影のオファーをいただけるようになったんです。
人生っておもしろい。
私の可能性を他の人が拡げてくれました。
そして、最近、不思議だなと思っていること。
それは、私がどういう写真を撮りたいのか、
それを言わずして相手に伝わっていること。
例えば、私の撮影した写真を見て
「あったかい」「やさしい」と
みなさんから共通の感想をいただけることに驚いています。
「自分の内面を好きになろう」というセラピーはありますが
外見も好きになれたら、
自己肯定感は間違いなく大きくなるでしょう。
私は、その方の美しく見える角度や
ステキな部分を見つけることが得意ですから
みなさんのなかの「輝き」にフォーカスして撮影します。
例えば
「一見、怖そうに見えるけれど、内面の無邪気さを撮りたい」とか。
その方の奥にある魅力を写真で表現したい。
だから、きっと自信を持ってもらえる。
自分を好きになる。
違う自分を発見できる。
あなたはあなたのままですばらしい。
そのままで十分ステキ。
それに気づいてもらえたら幸せです。
また、撮影されて「気持ちいい」と感じてもらいたい。
そうすれば、写真を見ている人にもその気持ちよさが伝わるから。
「魅力発見コース」の撮影は
自然のなか、さまざまなシチュエーションで撮影しています。
良い写真を渡すことはカメラマンとして当たり前ですが、
それ以上に、被写体のみなさんには気持ちよく帰っていただきたい。
鳥のさえずりや、木々の揺れ、そよ風、緑や海に癒されていただきたい。
「今日は楽しかった」
そうよろこんで帰ってもらえるのが一番。
撮影の時間が、あなたにとって癒しの時間になることができたら最高です。
撮影中に緊張している方でも、
セラピーのエッセンスを加えて、自然に和ませてあげられると思うし
カラーセラピーで学んだ色の知識も、写真に活かされているんです。
また、「私が感じたあなたの魅力」を引き出すことができるのは、
人と接する仕事を続けてきたことや、これまで経験したこと、学んできたこと、
すべてが合わさって今のカタチとなっているから。
過去の全部が集大成となって、現在のお仕事につながっています。
だから、「すべてのことに意味がある」と思っています。
心の赴くまま、興味が出たものはなんでもやってみたい。
これからも、直感を信じて、心が動いたら行動する。
好奇心旺盛な私は、いくつになっても変わらない気がします(笑)。
長い長いプロフィールを
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
みなさんとお会いできることを楽しみにしています。
(取材・ライティング 真田はる代)
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