生い立ち~現在までのロングプロフィール作成事例 渡邊智夫様

アクロスマネジメント株式会社
千葉県船橋市本町2丁目10番14号)
代表取締役 渡邊智夫様

ロングプロフィール  生い立ち~現在まで

いつもなぜか学級委員

昭和36年、東京都世田谷区に住んでいたサラリーマンの父と専業主婦の母との間に、2人兄弟の次男坊として生まれました。
活発でいたずらっ子でしたが、なぜかいつも学級委員で…。小中学校では新学期が始まり学級委員を決めるときになると、周囲から「智夫でいいよ」と、ほぼ強制的でした(笑)。
学級委員としてクラスのために何かするというよりは、細かい作業が苦手だったので、人に振ったり指示したり…。当時から人を使うのが上手かったのかもしれません。

また、細かい作業のほかにも単純作業が大の苦手だとわかったのは、大学時代のパン工場でのアルバイト経験からです。製造過程のラインで同じ作業を繰り返すこと、わずか3日目…。ノイローゼになりそうですぐに辞めてしまいました。

 

アナウンサーに憧れて

私は子どものころからしゃべることが大好きでした。滑舌も早口言葉も得意で、高校生のころには文章を読み上げると、友人から「NHKのアナウンサーみたいだ」と褒められることも多く、次第と話す職業に憧れるようになりました。

大学ではアナウンス研究会のサークルに入り、毎日、発声や滑舌の練習を続けました。
人前で話すことが自分に向いている仕事だと確信したのは、サークルのボランティア活動としてDJを任されたことがきっかけです。DJの楽しさにすっかり夢中になっている自分がいました。

その後は、アナウンサーを目指し就職活動はテレビ局とラジオ局だけに絞りましたが、残念ながら夢は叶わず…。卒業後はしばらくフリーター生活を続けることに。

営業は天職!優秀な銀行マン時代

24歳のとき「そろそろ就職しなければ」と職を探していたところ、たまたま目に入ってきたのが地方銀行の求人広告。給料も安定しているので安心だろうと軽い気持ちで入社しました。
人と会って話すことが好きだったので希望したのは営業職です。一般的に大変そうなイメージがありますが、私は預金や融資など“形のないもの”を売ることがとてもおもしろいと感じました。
得意のトークを活かして成績を上げ、社長杯など賞をもらうことも多く、自分で言うのもなんですが優秀な営業マンでした。当時はバブル期だったこともあり、若干26歳でしたがボーナスは300万を上回ることも。今では考えられない金額です。

稼ぎがよい分、仕事はとてもハードでした。早朝から夜中まで働いた上、休日出勤も当たり前。上司から厳しく罵声を浴びせられるなど毎日で、灰皿が飛んできて血を流すことも…。それでも、「営業は天職」と思えるほど仕事が楽しくて、辞める気にはなりませんでした。

会社倒産から保険業界へ

12年ほど銀行員として働き続けたある日のこと。
仕事が終わったあと、上司の指示での会社に残り、同僚たちと野球のナイター中継を見ていたとき、ニュース速報が流れました。
なんと、それは自分の銀行が倒産したニュースでした。
唖然として…目が点に…。

安定した仕事を求めて銀行を選んだのに…これはどういうことなのだろう…
その日から「仕事に対する自分の考え方を変えなければ」と思い始めるようになりました。

倒産後は、他社で銀行マンを続けるか、誘われた生命保険会社に移るか、ありがたいことにいくつかの選択肢がありました。
形がないものを売ることは銀行も保険も同じですが、100%歩合という条件には躊躇しました。なぜなら、当時は子どもが5歳と2歳で、しかも家を買ったばかりでしたから…。

私は良くも悪くも物事を深く考えないタイプなので(笑)、36歳のときに思い切って保険業界へ移りました。相変わらず営業職は楽しく、保険の仕事も向いていたようです。
また、成績優秀で表彰も受け、ここでも思った以上の収入を得ることができました。

私の人生を変えた一冊

保険の仕事を続けて8年ほど経ったころのできごとです。
会社に置いてあった本の中から、何気なく読み始めた一冊。これが私の人生を変えることになりました。
それは、ロバート・キヨサキ著の「金持ち父さん貧乏父さん」。
頭をガーン!と撃たれたように、心が強く揺り動かされたのです。

この本には次のようなことが書かれていました。
従業員と自営業のグループ、そして、投資家とビジネスオーナーのグループ、この間には大きな壁があり、別の生き方をしている。お金持ちとサラリーマンの思考は180度違う、お金持ちになるには思考も行動も変えること。本当にお金と時間の自由人になりたかったら、投資家やビジネスオーナー側のグループに行かなければならない。

サラリーマンは自力での収入となりますが、お金持ちになる人はお金が入ってくるシステムを考える、いわゆる他力が収入となるわけです。

私はお金持ち側、向こう側へ行くことを求めていましたが、この本のおかげで、このままでは無理だとはっきりとわかりました。
そこで、現在のポジションから脱出するには起業しかないと決心しました。

パソコン教室で起業

私は行動に移しました。オーナーになるため、知人の学習塾の一角を借りてパソコン教室を始めました。これは簡単なことではなくリスクも覚悟してのことでした。

結果、マンツーマンのパソコン教室はコストが高くて経営には失敗しましたが、実際に起業することで、雇用や資金繰りなど、経営の基礎を学ぶことができました。
起業したい方から相談を受けたときには「座学よりもまず何か商売をしてみたら」と勧めています。失敗も含めてさまざまな勉強になるからです。

ビジネスの鉄則「自分が得意なことで起業しない」

44歳のときに始めた学習塾が軌道に乗ったところで、本業だった保険会社を退社しました。その後、パソコン教室もシニアを対象にリスタート。現在はさらにネイルサロン経営や放課後デイサービス、児童発達支援等事業などを展開中です。

これらの事業はすべて自分の専門外なので順調に運んだのだと思っています。
私のビジネスの鉄則は「自分が得意なことで起業しない」ということ。
詳しい分野だと、どうしても口を出してしまいますが、知らない分野だったらそうはなりません。最初にパソコン教室のオーナーになったのは、パソコンが大の苦手だったからです。

また、銀行時代に中小企業の経営者さんに会う機会が多く、いつも社長が留守で現場にいない、そんな会社は成長しているということに気が付きました。
常に社長から指示を仰げる状態だと、社員に責任感が生まれず人が育たないのではないでしょうか。ですから、私は現場に顔を出しません。

「空き家問題のかかりつけ医」として

これからの弊社の展望としては、売り上げを安定させ雇用を確保すること。そして、自分自身のライフワークのひとつにしたいことは不動産業の空き家対策です。
現在、船橋でも空き家が多く、一方では土地が足りないという需要と供給のミスマッチ状態が続いています。空き家対策事業は、社会の課題解決にもなり、困っている方からは感謝され、ビジネスにもなるという三方よしのソーシャルビジネスです。そして、何よりも“人助け”になるということに大きなやりがいを感じています。

空き家はさまざまな問題が複雑に絡み合っていて、一般の不動産屋もお手上げのケースが多いのですが、私は「空き家問題のかかりつけ医」として、課題を一つずつ解きほぐし、司法書士や税理士、弁護士など専門家の力を借りて解決しています。

昔から、物事の全体を見て人に仕事を振り分けることが得意だったので、それが今の仕事にも生かされているのかもしれません。
船橋での実績もありますので、今後は東葛地区への進出も視野に入れながら、空き家問題の“駆け込み寺”として、一人でも多くの方のお役に立てるよう活動を続けて行きます。

大切にしていること

私が大切していることは信義です。当然ですが約束を守ること。信義を欠くともう仕事は来ませんから…。きちんと信義を通していけば道は開けると思っています。
そして、もらってから払うのではなく、先に払うことをモットーにしています。不思議なもので、人に与え続けると最終的には自分に大きく返ってきます。これは自己投資も同じことだと言えるでしょう。

人前で話すことをライフワークに

今後は、脱サラして起業したい方を対象に起業セミナーを主催して、自分が講師として登壇したいと考えています。子どものころから人前で話すことが大好きで、銀行マン時代には会社に内緒で、結婚式の司会など週末副業を続けていたほどですから(笑)。
ライフワークのひとつとして講師の仕事を長く続けることができたら幸せです。もちろん、セミナー講師は自分の好きな仕事なので会社の事業にはしません。
現在55歳、還暦まであと少しですが「すべてはこれから!」と、いつもスタートラインに立った気持ちでいます。